スペインにて

マドリーにて

1984年春、初めてマドリーのバラハス空港に降り立ち本場のフラメンコを見てやるぞ!
と思いコラールデモレリア、カフェデチニータス、カサパタ、カンデーラなどタブラオやペーニャ、ほぼ毎晩見に行っていた。この感想は次回にするとして、初めてギター購入した時の話を今回は、お話します。
初めからギターを買うつもりで来ていた私は当時マドリー在住のギタリスト(K氏)についてきてもらいグラビーナの店にコンデを見に行き、ブランカのプリメラ5~6本を見せてもらいました。K氏曰く本当に買うの?それでいいの?とか言われ、アモールデディオスで弾いているギタリスト達からもコンデは急いで買わない方がいいよ、と言われていたが、私はギターを持って来ていなかったので、練習も出来なければレッスンも受けられない状態だったため、とにかく、早くコンデが欲しかったのです。
しばらくして、買ったコンデを持ってK氏の横で弾かせてもらったら、買った時より鳴ってないよ!と、言われてしまった、またマノロサンルーカルの講習会では弟のイシドロが同じコンデを使っていたので、見て貰ったらフィノ(音が薄っぺらいという意味だろうか?)
と言われて、ダメ出しを食らったような気がして凹んでしまった。私の中では憧れのコンデ=パコデルシア=最高のフラメンコギターばっかりと思い込んでいたが、
周りの意見になるほど!と思ってしまった。これが、私の悩めるコンデの1本目である。


セビージャにて

1984年夏の暑い頃セビージャではマノロサンルーカルのクルソー(講習会)が始まり、朝9時~12時半迄練習曲のレッスン、方5時~8時迄応用編のレッスン、9月になると第3回ビエナルも始まり夜の9時~午前3時頃迄フラメンコのお祭り、寝る暇もなく、死ぬかと思う様な日々、レッスンと毎晩コンサートを見に行く超多忙な毎日だった。クルソーはAクラス、マノロサンルーカル、Bクラス、イシドロサンルーカル、Cクラス、ビセンテアミーゴ(当時17~8才)が講師で、初めに生徒達のレベルを見るためにクラス分けの為のテストがあり一人ずつ個室に呼ばれてサンルーカルの前でギターを弾くことをクルソー当日の朝に聞いた。
大変!パコデルシアとトマティートの曲しか知らない!サンルーカルの前でパコなんか弾いていいものか?私は何を弾けばいいんだ?自分のオリジナル?・・・やっぱり無い!大パニックになった22才の私でした。